
太平洋戦争の末期に地上戦が行われた沖縄は壮絶な戦場となり、戦没者の数は住民を含め24万人にものぼるともいわれています。そして、沖縄の犠牲の歴史は今も続いています。

今回は、久米島にある慰霊碑を訪れ、地元の方にお願いして沖縄と戦争の話をしてもらいました。

ここ久米島は激戦場になるのは免れたものの、日本軍により赤ちゃんや子どもを含む数家族がスパイ容疑で殺害されました。8月5日の終戦後のことです。その方たちをふくむ久米島出身の犠牲者の方々の名前がこの碑に刻まれています。この話をしてくれたサクダさんや、いつも球美の里のバスを運転してくださるウエシロさんのご親戚の名前もここにあります。
後ろに米軍、前に日本軍。沖縄の住民たちは行き場を失い膨大な犠牲を強いられた後、焼け野原にされてしまった街を自らの手で復興せざるをえなかったそうです。
いつの時代も、国の政策による犠牲者が存在し続けています。
このようなことがもうこれ以上続かないよう強く願い、子どもたちにも伝えていかねばと思います。

この慰霊碑のある公園で、ちびっこたちは、四ツ葉のクローバーをたくさん見つけていました。

風にゆれるうーじ(サトウキビ)の花。